コトノハ#6
関わる事で良し、としないこと。
ここ数年、とある事業を通じて「地方創生」とか「地方活性」の名の下、いろんな取り組みやプロジェクトを間接的にだけど見てきました。
その中でやっぱり思うのは、成功している案件はほんの数例で、あとは補助金をだぶだぶに使ったり、地域の資源や人材を使うだけ使っただけのような、消費し尽くされたような抜け殻だけのもの。
つまり、「関わる」ことが「成果」として扱われていること。
結果、引き継ぎもまともにせず、その後のモニタリングやマネジメントすら行わず、取り残されている人たちや資源・商材などを多く見てきました。
また、メディアに扱われる部分もその表面的な事柄ばかりで、その後のことはあまり伝えない。
本当に、一体何なんだろうと思う。
何もこれは地方の話ばかりでなく、都市部でも同じようなことが言えると思います。
ぶっちゃげ言ったら、一昨年に話題にあがった神戸でのクリスマスツリーの、その後がどうなったとか、喜んで写真撮ってインスタ挙げた人たちの殆どが興味なんかないでしょう。
と言うか、忘れ去った人たちも多いのではないでしょうか。
根っこ付きのまま持って来られ、見世物のような形で晒された、あの生き物はその後どうなったか。
自分は、やはり気になるし、それを扱ってきた人たちには発信する責務があるように思います。
その場で、自分が関わってきた事で、良しとする。
最近のニュースとか見ても、そんな記事ばかりを目にします。
どこかの芸能人がこんなことを言った、みたいなのがニュース記事になるとか。
ニュースばかりでなく、各地で行われているイベントとかワークショップとかも「問題提起」とか「意識啓発」とか、実に上っ面のものばかりが多いような気がします。
話が少しずれましたが、自分が関わっている事業に、岡緑会とかHASEとか八百材舎がありますが、やっぱり大事なのは始める事ではなく、続けることだと思うんですよね。
誰がどのような役割を担って継続していくのか、どの方向に向かってマネージメントするべきか、やっぱり考えます。
途中で投げ出すなんてもってのほかだし、やっぱり自分以外に多くの人が関わって協力してくださっている姿を見て、中途半端に関わるなんてことはしたくない。
なぜ自分がそういった考えに至ったかを考えると、やっぱり会社員(造園コンサルタント)勤務の時に培った教えがあったからだと思います。
場をデザインするだけでなく、どのように運用され発展していくかもデザインする。
そのための調査をしっかりして、何が問題かを明確にして背景とする。
最近職種とか情報とか技術・知識すら細分化されていく傾向にあると思うのですが、しっかりと一連の流れを俯瞰して見て、継続させることが資産として評価できる人が増えることを望みます。
関わる事は好し。続ける事でなお良し。としないと。