最近、空を見て歩いてますか?

先日、「街路樹サミット」なるイベントが開催され、自分も微力ながら運営のお手伝いをした。
街路樹のあり方について、改めて問う。
普段何気なくすれ違うだけの街路樹。
ふと足を止めるための、良い機会になったように思う。
街路樹の何が問題か?
おそらく共通して言えることは、酷い剪定のされ方をしている、そして落ち葉はもはや苦情対象となっているので、街路樹そのものが苦情対象として見られる様な対処の仕方をしている、ということだと思う。
では、街路樹は誰のもの?
街路樹の問題を考える時、自分はこう考える。
一体、何人の人が、今空を見ながら歩いてるだろうか?って。
街路樹の価値って、周りの景色やそこを歩く人の姿とセットで語られることが多いだろうし、緑的な観点で言えば、周りの公園とかマンションベランダの花壇とか植え込みとか、家の生け垣とか、店の軒先の寄せ植えとかとセットで語られるべきだと、個人的には考える。
つまり、「街路樹」なんて理念で考えるのではなく、「街の緑」とか「街の風景」として考える。
そうすれば、どの街路樹が大切で、どのような管理をしていけばいいか、自ずと見えるきっかけになると思う。
街路樹そのものだけで、何かの問題に対して解決することは、たぶんとっても難しい。
何が言いたいかと言うと、例えば今流行りのソーラーパネル。
あれって、必ずしも風景とマッチしているものが多いわけでなく、どちらかと言うとせっかくの風景を台無しにしているような設置の仕方が多い。
で、一番の問題は、その設置理由だ。
省エネの観点から見れば正解なんだろうけど、でもそれは誰のため?
結局、今の電力をバンバン使い捨てる様な生活水準を維持しようとしているためのソーラーパネルならば、なんだかとっても無駄なような気がする。
それだったら、みんな1時間早く寝て、1時間早く起きて行動すれば、省エネにつながるし、経済的な効果もひょっとしたら上がるかもしれない。
つまり、ソーラーパネルの設置自体も必要ないかもしれなくて、あんな人工物の塊を置くぐらいなら、緑化でもしたほうがダブルの効果があるかもしれない。
話を街路樹に戻すと、やっぱり一体誰のために?ってなる。 スマホ片手に、歩いてる時でさせ下ばっかり向いて、すれ違う人のことなんて興味もない人たちは、おそらく空なんて見ないだろうし、街路樹の存在すら気づかないだろうし、「誰のため?」なんて考える暇もないのではないだろうか。
電車に乗ってても、一列のシートに、全員がスマホに取り憑かれている様に下を向いているような風景が日常になっている社会になんか、自分は魅力を全く感じないし、そもそも美しくない。
でも自分は、スマホからガラケーに替えたおかげで、よく周りの景色を見ながら過ごす。
それが電車の中でも、街路の上でも。
だから、街路樹は貴重な毎日の財産なんですよ。
車窓から見える街路樹も、歩きながら季節を感じる街路樹も。
スマホを持っている人の中でも、そう思う人たちは絶対たくさんいるわけで。
そういった人たちのために、自分は街路樹を含めた緑とか街の風景というものを守っていきたい。
結局のところ、街路樹保全も省エネも自分たちの生活様式が変わらない限り、ずっと技術開発と自然環境衰退のいたちごっこに巻き込まれる一方で、肝心な「誰のため?」が見えなくなってきているんだろうと思う。
ちょっと脈絡がない気味の文章になっちゃったけど。
でも、そろそろ真剣に「誰のため?」に向き合わないと。
そのためには、引いた目線で全体を見ることが必要だし、当たり前とされている生活様式自体を見直さないとね。