最近思ったこと。
地方を元気にしたい。
そんな取り組みとか事業が増えているこの頃。
僕も、微力ながらその一部に参加させていただいた経験がある。
で、思うこと。(どこでも言われ始めていることだけど。)
「そもそも、誰のための地方(もしくは地域)?」ってこと。
日本という国を、自分の住んでいる、あるいは住んでいた地域を良くしていきたい、それは多分みんなの共通した思い。
僕が参加させていただいたスクールにも、そんな思いを持った方達がたくさん受講されていた。
でもそんな受講生達の成果発表を聴きながら、ちょっとした違和感を感じずにはいられなかった。
それって、単に自分たちのやりたい事だけを押し付けていないか?
僕の仕事では、いかに客観的な解析と視点を持って、その場をデザイン(プランニング)できるか、というところが大切だ。
そして逸る頭と心を抑えて、いかにニュートラルな立ち位置で臨めるかも大事だ。
どんな場所に置き換えても、通用してしまうようなプラン(例えばコミュニティー型ショッピングモールとかコミュニティーカフェとかシェアオフィスやハウスなど)は、もはやプランとは呼べないと思っている。
その場にしかない、そこにいる方々が喜んでくれる、というところに落とし込むことがデザインだと思っている。
でも僕が参加させてもらったスクールには、そういった成果を見ることが少なかった。
もちろん、講義の時間が足りなかったことや、まだスクール自体が始まったばかりというこはあるのだけど、肝心なのはそのスクールに参加している受講生たちの「心構え」みたいなところが問題なのだと思う。
自分が良かれと思ったことが、必ずしも喜ばれるわけではない。
そのためには、客観的な判断力が必要だし、立ち止まったり一度壊す勇気も必要だし、他の意見を聞く事も大事なはずなんだけど、どうも「地域を元気にする」ための「スクール」に「意識の高いみんなで参加している」という事実に溺れ過ぎているように見受けられた。
だから誰も講義内容を噛み砕いて消化していないし、すぐに仲間内でのディスカッションという形で片付けてしまって、変な充実感を得ているような印象を受ける。
それって、そもそも講義が必要ないよね?という話し。
参加型でディスカッションして、というのは大事なプロセスだとは思うんだけど、先ずはそのベースとなっている講義だったり、地域のインフラ部分を理解することが大事だと思うんだよね。
これって、今のDIYとか建築や造園の動きにも当てはまるんだけど、これについてはまたの機会に。
地域を元気にするスクール・ビジネスがあちこちで見られるんだけど、本当にその地域の良さ(文化とか人材とか風景とかのインフラ資源)を伝え切れた上で行われているのか、そういった業種とは距離を置いている自分ですら不安を感じるようになった。(まあ、一度とある別の地域のスクール視察に行ったときが直接のきっかけだったんだけどね。)
意識高いのは良いんだけど、もうちょっと誰のため?という点を振り返る必要があるよね。
そのためには、やっぱりもうちょっと各々が、人間として成熟する必要があるような気がする。
要は、みんな遊びきってない、ってことなんだろうな。
自分も含めて…笑
