
ダンディーなコーヒーおじさん。
昨晩、久々に師匠のお話を聞きに行った。 木の、森の、そして山の師匠。 まだミドリカフェが飲食をやっていた頃、よくコーヒーを飲みに立ち寄ってくださった能口さん。 いつも真っ白なBMWのバイクに跨って、颯爽とやって来てた。 ホンマに、ダンディーなおじさん。 そんな能口さんが主催されている「木材コーディネーター養成基礎講座」の受講を勧められ(勧誘され)、ランドスケープの立場から、どう森と街を繋げられるかを3年前に勉強(?)した。 まさに今取り組んでいる「旅する大地」が産声をあげた場だったんだよね。 その講座、夏から半年間かけて行われる。 月に2回ずつのペースで、1回は大阪で一日座学。もう1回は丹波市で泊まり込みの実地講座。 参加者は、ほぼ森林関係(組合・メーカー・工務店など)の方々で、造園は自分一人だった。 ま、ある意味異色の存在。 で、丹波での実地講座は本当に楽しくて、実際に山の調査をしたり、木取りをしたり、ロケットストーブをつくったり、盛りだくさん。 もちろん、グループワークも頻繁に行って、いろんな立場から意見をぶつけ合った。 まあ、殆どの内容に付
1週間の振り返り。
ここで1週間振り返り。 *2.20 mon 久々にとある環境大好き政党の知り合いとお話し。まさか、灘区でそんなもんがつくられるなんて! 神戸が誇る大企業への不信感が募ったのと、その後神戸が誇る別の大企業で楽しみな打ち合わせ。 変なの。 *2.21.tue 神戸ワイナリーで神戸大学生サークルの活動手伝い。 吹きっさらしの畑で、女子大生1人とおっさん2人。 やっぱ変なの。 *2.22.wed 久々のお休み、と思いきやいつもの癖で午前中にメールチェックと返信。 でもランチは、これまた久々のazzuriさんへ。 やっぱ最高! *2.23.thu 築50年のマンション外構の現場視察にジプシーと。こいつの軽トラは結構腰に来る。 その後一緒に西区のキャルファームさんで、地域資源循環の事業立ち上げのための打ち合わせ。 西区もやっぱり寒かった! *2.24.fri 灘区の現場で最終確認の打ち合わせ…のはずが、とんだハプニングで延期に。 その後、加東市の古民家外構のプラン作りに専念。 久々にお絵描きに集中。 *2.25.sat 引き続き加東市古民家のプラン作りと「旅

大木と向き合っています。
いま抱えている案件で、築50年近くが経ったマンション外構(植栽)の手入れがある。 この現場に限ったことではないのだけど、どの案件にも必ず共通する問題点を見ることが出来る。 木々たちが植栽されている位置だ。 建物に近すぎたり、壁に近すぎたり、木々たちの間隔が狭かったり、隣の敷地にはみ出たり。 そして何より、育ち過ぎて大木になっていて、どうしようもなくなっている。 おそらくなんだけど、当時の造園屋さんたちは、何十年か後の育った木々の姿というのをイメージせず植えたのだと思う。 なんでそんな事が起こるんだろう? 自分なら、絶対こういったプランはつくらない、と思えるのはやっぱり「ランドスケープ」という分野にいたかもしれない。 「ランドスケープ」って言葉は、直訳すると「風景」なんだけど、その「風景」を創り出すのには実に細かいリサーチが必要なんだよね。 日光や風の入り方、地勢や地形などの特性、そこに自生する植物の特性、生活文化、歴史、眺め…など様々な視点から解析する。 その家の外についても、中についても。 そしてその視点の中に、当然「将来こうなるだろう」という
エコな飲み会。
今日は久しぶりに、環境活動系の方とお話をした。 昔、自分自身も結構その分野は勉強したんだよね。 でも、 環境問題期→スローライフ期(「やめる」の理念)→スローフード期(農家さんとの提携)→スローガーデン期(シンプルな庭づくり)→身近な人のために期(嫁さんを大事に) という今日まで至る自分の流れから、改めて環境に関する問題点をピンポイントで語られると、ちょっと躊躇感があったり逆に新鮮感があったりと、なんか面白かった。 もちろん、ただ面白がっていたわけではなく、怖い話でもあったんだけどね。 情報のアンテナを張り続けるって難しいし、日々の忙しさにかまけてると忘れてしまうことも多い。 でも身近な問題とか脅威って、本当に息を潜めてひっそりやって来るんだ、という現実を改めて忘れちゃいけないんだなー、と。 また、どんな小さな声でも、耳を傾けようとする姿勢が必要だよね。 で、そのためのイベントっぽいのを開催する予定になったんだけど、大事なのは「ミドリカフェ」としてのスタンス。 頭でっかちになる集まりは嫌だし、何かを強要しようとする場も大嫌いだ。 いろんな立場から

住処周りと土地土地へ。
なんだかんだで、今年の春からの動きが半分決まったような感じです。 とある事業への取っ掛かりとなるわけですが、自分的に2年という期限を設けて取り組みたいかな。 最近、自分の「働き方」みたいなことについて考えるようになって、そんな矢先の出来事だったので、春以降の予定は正直びっくりの展開なのですが。 年齢的に、現役で動ける残り年数の方が少なくなってきたんで、やっぱりいろいろ考える。 なんとなくなんだけど、いろんな日本の土地に行って、仕事ができるようになりたい。 生活の拠点は拠点として、自分たちが理想とする場所も決めていきたい。 半分自分たちの住処周り。 半分は日本の土地土地へ。 もちろん、全ては「緑」絡みなのですが。 いやー、どうなるんでしょうね。 この春から。 自分でも予想つかないけど、それもまた楽しみということで。 一つだけ気づいたこと。 結局、自分は「根無し草」なんだけど、種を落とすために常に移動している様な気がする。 あんまり認めたく無いし、理想的でも無いんだけど、宿命というか、何と言うか。 まあ、あまり考えすぎず、いつものように適当に行きます

アウトプットは、教えてもらうものじゃない。
先日、去年度までインストラクターを務めていた淡路景観園芸学校の学生たちの修論発表会を聴きに行きました。 彼らの代が、自分が接した最後の代だったのと、結構優秀な学生が多かったので楽しみもあって。 約1年ぶりだったかなー。 あの桃源郷のようなキャンパスに足を運んだのは。 働いていた当時に比べると色褪せて見えるんだけど、やっぱり何処か懐かしくて。 3年間だけだったけど、自分にとっては忘れられない場所になってる。 お世話になったフィールド管理のスタッフの方や、先生方の顔を見ると嬉しいよね、やっぱり。 自分は指導する側だったけど、学生の立場だったら結構楽しめたんだろうなー、と改めて思ったり。 発表会自体は、予想通りレベルの高いものでした。 特に、植物の生育環境と土壌の関係性だったり、地域の自然歴史学だったりと、自分好みの分野を扱ったテーマが多くて、なんだか嬉しかった。 寝なかったもんね。最後まで。 最優秀賞をとったのも、自分が立ち上げた部活生(土部)の女の子だったりと、別に自分は何もしてないんだけど、なんだか妙に嬉しかったなー。 今の学生さんは、本当に真面

兜と緑。
今の事務所に移ってからというもの、ミドリカフェにいた植物たちがことごとく瀕死状態、もしくは枯死してしまって、なんだか緑のボリュームがなくて寂しい。 よく環境が変わると、植物がストレスを抱えるということが言われるけど、あれ本当だね。 今はちょっと事務所内もディスプレイは落ち着いているけど、越してからほぼ半年以上ごちゃごちゃの状態が続いて、多くの荷物が整理されていなくて、正直自分たちも精神衛生的に整っていなかったように思う。 そりゃ、当の本人たちがしんどいんだから、植物だってしんどいよね。 さて、またまた漢字の成り立ちの話し。 「枯れる」の「枯」という漢字。 「枯」の「木」は、「大地を覆う木」の象形。 「枯」の「古」は、「固いかぶと」の象形。 つまり、「固くなる・ふるい」の意味から、「枯れる」。 今の事務所、まさに構造自体が「固いかぶと」のようなもんなんだよね。 まあ、頭の上に電車が走っているような環境だから、当然なんだけど。 問題は、この「固いかぶと」と「緑」をどう共存させていこうかという話し。 僕らが現場に出てしまうと、中はシャッターで真っ暗。

太陽と影。
先日、とある飲み会の席で、何人かと自分たちの役割みたいなのについて熱く語ってました。 役割、と言ってもそんな大げさなものではなく、ポジション?的な話し。 要は、太陽さんなのか、影さんなのか。 小さい頃から、なんだか黒幕とかに妙に憧れてました。 誰かが有名になって脚光を浴びて、自分はその影で逮捕されながらもニヤつく、みたいな。 一体何の影響なんでしょうね 笑 あと自分をよく知る友達からもこう言われたなー。 ちなみに、その人は典型的な太陽さんなんだけど。 「俺とウッチーがボールをそれぞれ持って、大観衆の前にいるとするやん? で、その大観衆はそのボールを欲しがって待っている。
で、俺は間違いなく、そのボールをストレートに大観衆に向かって投げて、満足な笑みを浮かべる。 でもウッチーは間違いなく、大観衆に背を向けて、誰もいない方向に向かってボールを持ってすたすた歩き出す。そして、追っかけてきた数人の観衆の姿を確認して、ニヤッとする。」 なんのこっちゃ分からないけど、自分を表す妙にうまい表現だなー、と。 とても穿った影だなー、と 笑 残念ながら、そのお酒の

最近、空を見て歩いてますか?
先日、「街路樹サミット」なるイベントが開催され、自分も微力ながら運営のお手伝いをした。 街路樹のあり方について、改めて問う。 普段何気なくすれ違うだけの街路樹。 ふと足を止めるための、良い機会になったように思う。 街路樹の何が問題か? おそらく共通して言えることは、酷い剪定のされ方をしている、そして落ち葉はもはや苦情対象となっているので、街路樹そのものが苦情対象として見られる様な対処の仕方をしている、ということだと思う。 では、街路樹は誰のもの? 街路樹の問題を考える時、自分はこう考える。 一体、何人の人が、今空を見ながら歩いてるだろうか?って。 街路樹の価値って、周りの景色やそこを歩く人の姿とセットで語られることが多いだろうし、緑的な観点で言えば、周りの公園とかマンションベランダの花壇とか植え込みとか、家の生け垣とか、店の軒先の寄せ植えとかとセットで語られるべきだと、個人的には考える。 つまり、「街路樹」なんて理念で考えるのではなく、「街の緑」とか「街の風景」として考える。 そうすれば、どの街路樹が大切で、どのような管理をしていけばいいか、自ず

教訓と「再確認」。
もう5年くらい前になるかなぁ。 いつも何かと気を遣ってくれたとあるNPOの職員の方が、「障がい者も働けるカフェを、自立支援の一環で兵庫県のとある市でつくる事になったので、手伝ってほしい」という打診を自分ごときにしていただいた事がある。 カフェをつくるのは、とある大きな財団で、自立支援のための総合施設の一部ということらしく、その方は財団の職員も兼務されていた。 企画書があるので、と見せてもらったら「ふれあい」「サロン」「おふくろの味」などといった言葉のオンパレード。 うーむ、明らかに素人の発想。 誰が書いたんですか?と聞いたところ、とあるコミュニティーづくり関連の取り組みに、何かしらあちこちで絡んでいる人(よくいるよね、こういう人。名刺にいっぱい属している団体やらプロジェクトやら役職やらが書いてある人)が書いたらしく、予想どおり飲食店経営の経験は無いとのこと。 で、その方も不安に思ったのか、その頃ちょっとだけ流行っていた自分のカフェが参考になると思っていただいたみたいで、声を掛けてくださったのだ。 企画書から練り直しましょう、という条件でそのカフェ